東日本大震災後、糸島へ…
仮住まいの芥屋が永住地に

志摩・芥屋の一軒家で暮らすのは、福岡県出身でフリーライターの渡邊美穂さん。ご主人と、息子さんとの3人暮らしだ。糸島に移住する前は、ご主人の仕事の関係で東京に住んでいた。2011年の東日本大震災を東京で経験し、当時生まれたばかりの息子さんを連れて、福岡へ帰ってきた。

震災が起きた当時、息子はまだ2か月半。どうするべきか悩みましたが、子どものためには安全な環境が必要だと思いました。東京に夫を一人残して、ひとまず私と息子だけ実家の福岡へ。追って5月に、夫が福岡に帰ってきました。もともと「将来は田舎暮らしをしたいね。」と夫婦で話し合っていたので、東京・福岡間で離れて暮らす間に、仕事を辞めて田舎暮らしを始めるなら今しかないんじゃないかという結論に至りました。夫は東京で記者の仕事をしていましたが、関わっていた仕事が丁度ひと段落ついたところでもあり、脱サラをして福岡に帰ってきたんです。

しかし、永住する場所となると、すぐには決めきれなかった。この際じっくり選び抜きたいという思いもあり、ひとまずの仮住まいとして、学生のころからいいイメージを持っていた糸島に住んでみることに。

ご主人が改修した2階からは芥屋のまちと海が広がる

糸島といっても、エリアによって特色は様々。私たちは、自然が豊かな所に住みたかったのに、一般的な不動産屋さんを介して紹介されるのは、駅前物件ばかりでした。夫が、「不便なのはかまわないし、とにかく自然が豊かな所に住みたいんだ。」と物件を探し続けた結果、見つけることができたんです。

それは、現状引き渡しで2年間という期限付き。物件自体は、とても人が住めるような状態ではありませんでしたが、何よりも環境を優先したかったので、改修をしながらとりあえずそこに住むことにしたんです。

今にも抜けそうな床を張り換え、住める状態に立て直し、やっとのことで田舎暮らしがスタートした。貸家があったことが決め手となって、引っ越してきた芥屋。実際に住んでみてのイメージは?

芥屋は、子どもも少ない地域なので、引っ越してきたとき、まだ1歳に満たなかったうちの子どもは、地域のおばあちゃんたちに随分可愛がってもらいました。海も山も近くて自然が豊かだし、子育て環境としても安心。ひとまず、と思って住み始めたものの、いい所だなあと思いましたね。

ご近所のおばあちゃんが、芥屋での暮らしを楽しんでいる姿も好印象でした。畑の土いじりも楽しそうにしているし、毎年芥屋の海水浴場で行われる「サンセットライブ」もすごく楽しみにしている。野外ライブは若者が楽しむものだと思っていましたが、それを地元のおばあちゃんが楽しんでるのを見て、素敵だなと思ったんです。

こんなにきれいな海岸が家の近くにあるのが糸島の魅力の1つ

芥屋をいい所だと感じる一方で、当時はまだ、自分たちの「住みたい場所」をもう少し見定めたかった。芥屋に引っ越した後も、九州北部エリアを中心に定住先を探したそう。

大分や阿蘇など、同じように移住をした人を訪ねては、話を聞いたり、泊まり歩いたりしましたね。ただ、いろいろと探し歩いてはみるものの、どこも適度に良くて、反面、決定打に欠けていました。芥屋で数か月暮らすうちに人間関係ができたことや、移住の目的だった子育て環境として申し分なかったこともあり、次第に、「このままここに住んでもいいかな。」という心境の変化が…。糸島への永住を決めたのは、芥屋の借家に住み始めて9ヶ月くらい経ったころ。思えば、それまでの期間が、私たちにとって、移住のお試し期間だったんです。判断するのに、それくらいの期間が必要だったとも言えると思います。

糸島に永住する気持ちも固まり、現在の物件を購入したのは、2012年秋のこと。

現在の家が売りに出るとの情報を知り、すぐに購入を決めて改修をスタートさせました。友人に手伝ってもらったり、道具を借りたり…。こういったことができるのも、田舎暮らしの醍醐味。作る過程を楽しみたかったので、プロにしかできないところだけ建設会社に依頼をして、それ以外は夫がセルフリノベーションしました。実際に入居できたのは、購入してから半年後くらいです。

床など最低限の部分をある程度仕上げ、後は暮らしながら手を加えていくことに。改修は現在進行形で、取材日当日も、壁にペンキを塗る作業をしていたとか。

壁を黄緑色に塗る渡邊さん。自分の手でゆっくりリノベーション中

最も重要視されていた子育て環境について、改めて聞いてみた。

子どもは、自然が豊かなところで育てたかったんです。ここは山も近くて、海へも歩いて行けるし、自然環境は最高。去年の夏は、毎日海に遊びに連れて行きました。小学生までは遊ぶ時期だと思っているので、この大自然に鍛えられて、のびのびと成長して欲しいですね。進学は、中学生や高校生になった時に、どうしたいか本人が考えることだと思うので、教育環境については、あまり心配はしていません。バーベキューやたき火をすることで火の扱い方を覚えたり、一緒に野菜を育てたり、花や海の色、食卓に並ぶ食材が季節で変わることを感じたり、近所のおじちゃんやおばちゃんにかわいがられたり、叱られたり。そんな「教育」を、今は重視したい気持ちです。

「子育て環境としては大満足」と渡邊さん。仕事や、生活面の変化について尋ねると…。

田舎暮らしを始めるにあたって、仕事が最優先事項ではなくなりました。もちろん、働かないと食べていけないわけですが、それまでのように、やりたい仕事ができる場所に住むのではなく、住みたい場所を決めてから、そこでできることをしようという考え。今は、二人ともフリーランスになって、私はライターを、夫はカメラマンをしています。私はもともと新聞社に勤めていたので、会社員として働いていたころのテーマや人脈を引き継ぎながら、子育ての合間にコツコツと。夫はもともと記者だったのですが、田舎暮らしを機会に、趣味だったカメラを仕事にしました。糸島は自営業の人も多いので、お互いに仕事を頼みあったりすることも多いです。 収入は、東京で働いていたころと比べると、半分以下に下がりました。田舎暮らしが夢だった私たち夫婦が以前から決めていたのは、ローンを組まないこと。だから、今の家の購入費用も、すべて会社員の頃の貯金で賄ったんです。借金を抱えると、返済のために安定収入が必要になりますよね。そうなると田舎暮らしを楽しめなくなるし、常に不安を抱えた状態になってしまう。田舎暮らしは、都心部に比べて格段に出費が少ないので、フリーランスの仕事が少しいただけるようになった今は、なんとか収支トントン。がむしゃらに働いていた時代もありましたが、今は、「食べていけるほど稼げればそれでいい。」というスタンスに変わりましたね。

芥屋へ移住してもうすぐ3年。清掃やお祭りなどの「出ごと」にも積極的に参加し、地域の方々とも交流を深めているそう。

「行政区」と「組」という仕組みは、移住して初めて知りました。行政区は地域の自治会のようなもので、組はそれをさらに区分した「班」という感じです。

行政区の活動としては、清掃や会合など「出ごと」と呼ばれる活動が、月に1~2回あります。地域の人と仲良くなれるいい機会ですし、積極的に参加しようと思っているのですが、集まるのは年配の世代ばかり。出ごとへは、1世帯から1人出ればいいことになっているので、2世代、3世代の世帯になると、若い方は出てこられないんです。おじいちゃん・おばあちゃん世代と仲良くなれても、同世代とは関わる機会がない状況。少しさみしいですね。

後は、組の会費や入会費がとても高いことには驚きました。都市部では、町内会と言っても毎月200~300円くらいのものですが、糸島だと地域によっては、その10倍くらいかかるところもあるんです。会費の主な使い道は、集会所の維持費や、会合の時の飲食代など。その金額や使い方に納得できず、入会しないという移住者も少なくないようです。都会の効率的なシステムに慣れていると、この仕組みが非効率的に思えるのも分かりますが、地域を住民の手で維持することも大切。これは、お互いに歩み寄りが必要なことでしょうね。

永住するのを決め、手に入れた戸建。右側の屋根部分が改修した2階部分

最後に、今後の展望を教えてください!

外から来た人間だからこそ気づく糸島の良さを、どんどん発信していけたらなと思います。自然が豊かなこと、星がきれいなこと、半島で静かなこと…。海岸で拾った「わかめ」が食べられることだって貴重です。でも、そういった魅力は、地元の方々にしたら、あまりに当たり前なことでピンとこないかもしれません。自分が感じる芥屋の良さを、外部の人はもちろんですが、地元の人にも伝えていきたいですね。よく「不便やろう?」「何もないのに…」と言われますが、そんなときに、「よそになくてここにあるもの」の話をして、「ああ、そんな見方もあるんやね。」と感じてもらえたら。

糸島に移住してきてもうすぐ3年。市やJAの広報に移住の紹介記事が載ったせいか、同じように移住を希望される方々が何人もうちを訪ねてこられました。でも、なかなか希望通りにいかないようです。空き家はあるものの、所有者からすれば、「よく知らない人には貸せない」「仏壇が置いてあるので売れない」などさまざまな理由があり、賃貸物件が少ないように思います。空き家と、住みたい人。このマッチングをどうにかできたら、糸島の可能性がもっと広がるんじゃないかと思うんです。

「移住者が、糸島での暮らしを楽しむことが大切。楽しんでいる姿が、糸島をアピールすることになる」と渡邊さん。また、自分が感じる糸島の魅力を積極的に伝えていくことで、子育て世代が糸島の中心部以外に住むことに関心を持ってくれたら、とも話してくれた。

プロフィール(2014年2月現在)

●渡邉さん 30代後半

●糸島移住歴 2年半

●仕事 フリーライター

●移住前に住んでいた場所 東京