仕事漬けの東京生活から一転、海と山と余暇のある暮らしへ。

夫の実家へ向かう途中の糸島の風景が決め手に

糸島市テレワークセンターで勤務中の田口純美さん

 東京で生まれ育った田口純美さんが九州への移住を考えるようになったのは、結婚後まもなくのこと。このまま東京で暮らしていくことに疑問を感じたことが大きなきっかけです。夫が佐賀県出身で、いずれは戻りたいという希望もありました。「それなら子どもが小さいうちに」と行動を起こします。

 「住むならJR筑肥線沿線」と決めていたという純美さん。夫の実家に帰省するたびに、電車の窓に広がる海や緑の風景が気に入っていたのです。おのずと居住先も糸島に絞られ、新築を前提に校区を決定。いったん賃貸物件に純美さんと子ども2人(当時、小1と保育園児)で入居、半年後に福岡への異動が叶った夫が合流して、家族の糸島生活が始まりました。
 
中心市街地に住んでいても、海や山へすぐに行けるのが糸島の大きな魅力

 純美さんは入居と同時に校区内で土地探しを進めます。翌年には筑前前原駅から徒歩圏内に新居が完成。福岡市内に勤める夫は、駅始発の電車に乗れば座って通勤できます。将来、子どもたちが進学などで電車を利用することになっても安心です。立地の選択から土地探し、新築とスムーズに進んだのは、純美さんの不動産業界での経験が活きたのかもしれません。

幼少期を過ごした東京・武蔵野の街に通じる安心感

 移住して間もなく3年。生活はどう変わったのでしょう。純美さんは「私の帰宅時間が1時間半早くなって、夕方、子どもたちとゆっくり過ごす時間ができました」と嬉しそう。何より純美さんが驚いたのは夫の変わりよう。東京では、忙しい時期には日付が変わる頃に帰宅する毎日で、「このままだと彼は死んじゃう」と心配したほどだったそうですが、今は「毎週、一人で山登り。井原山(※)とか、すごい勢いで登って下りてきます(笑)」

※井原山…糸島市の南、佐賀との県境をなす背振山系の一山で標高982m。登山口まで田口さんの自宅から車で約20分
子どもたちと一緒に登った時のスナップ。井原山はオオキツネノカミソリ(ヒガンバナ科)の九州最大の群生地

 「子どもたちも先生方と友だちに恵まれて、すごく楽しそう。前原南小は転入生が多いことも幸いでした。長女は昨年からスポーツ少年団でサッカーをやっています」。長女は1年次途中での転入だっただけに、純美さんは「よく馴染んでくれたなぁ」と感慨深げ。
 純美さんが今の街に住んで気づいたのは、子どもの頃に住んでいた武蔵野によく似ていて、それが安心感につながっているということ。「街の規模といい雰囲気といい、訪ねてくれた高校時代の友人も同じことを言っていました。でも今の東京の過密ぶりは、ちょっと」と、顔を曇らせます。
 
糸島の新鮮な魚介類をたっぷり使った、純美さんお手製のイタリア料理「アクアパッツァ」。「生鮮品をはじめ食材の安さにびっくりしました」 

 純美さんは今、市の施設でテレワーク相談員を務める傍ら、週に3日、隣の唐津市でパート勤務をしています。通勤電車の車窓には、糸島移住のきっかけとなった海と緑の風景が。「私にとって糸島の原風景です」と目を細めます。東京の友人から「いつ戻ってくるの?」と尋ねられると、「こちらの生活が気にいっちゃったから、ずっと糸島にいるよ」と応じているそうです。
 
JR筑肥線は糸島から佐賀県唐津市にかけて海沿いを走る。帰省時に幾度となく眺めた風景が純美さんの原風景になった 

プロフィール(2022年12月現在)

●田口純美(ますみ)さん 40代

●糸島移住歴 2年

●仕事 パート勤務

●以前の住まい 東京都