「いちから醤油をつくりたい」あたためた胸に、ふるさと・糸島へ

JR筑前深江の駅から、歩いて5分。昔ながらの町並みの中に、一件の小さな醤油屋さんがある。お話を伺った城慶典さんは、その4代目。醸造の勉強のために一時糸島を離れ、2009年の春、Uターンで糸島に戻ってきた。

4代目、城 慶典さん。家族と醤油醸造業を営む

家業を継ごうと思ったのは、高校生の頃。自分のうちが醤油屋でありながら、いちから醤油をつくっている訳ではないことを知って、衝撃を受けたのがきっかけです。僕のうちは、大豆や小麦から醸造しているのではなく、生醤油を仕入れて最終工程の調合のみしていたんです。醤油づくりの特徴は、発酵などの過程なんだから、それをきちんとしたいと思ったんですね。

「いちから醤油をつくりたい」と強く思った城さんは、高校卒業後、東京農業大学へ進学。醤油づくりの基礎である、醸造について学んだ。在学期間中には、全国の有名な醤油屋さんをいくつも巡り、春休みなどの長期休暇を利用しては、短期間の研修を受け入れてもらっていたそう。

醤油屋をいくつか回って、それぞれの醤油作りを学んで、より一層醤油づくりの想いが強くなりました。それと同時につくることはもちろん販路の大切さを知りました。醤油をつくること自体はできても、売れなければ自分のやりたい方法での醤油づくりを継続していけません。歴史も知名度も販路もない田舎の醤油屋がどこまでやっていけるのか少し不安になったんです。

大学卒業後は、醸造の勉強の仕上げとして、広島の醤油屋で1年間研修をしたのですが、やはり販売の不安が払拭できませんでした。そこで、再度東京に戻り、製造ではなく販売の部分を改めて勉強することに。フードコーディネーターの学校に1年間通いながら、ひたすら人脈を開拓しました。

糸島に戻ってきたのは、そのあと。2009年の6月から、正式に家業の醤油屋に従事しました。

大学、醤油屋、ビジネススクールを経て、糸島を離れていたのは計6年間。帰ってきた時の糸島の印象を尋ねると…。

全然違う!という印象を受けましたね。テレビや雑誌でも、やたら糸島が取り上げられているし、かなりいいイメージの場所になっていると感じました。でも、自分にとっては生まれ育った町なので、自然の良さなどを挙げられてもあまりピンとこなかったですが…。色んな人から注目されているとは思いましたね。

6年ぶりにふるさと・糸島へ。知らないうちに、注目の土地になっていた。古い漁師町である深江

帰ってきてすぐは、まずそれまでやっていた醤油づくりの手伝いを。実際に醤油の仕込みを始めたのは、2010年秋のこと。

「いちから醤油をつくること」が目標でしたが、それまで最後の工程だけをするというスタイルで40年間やってきていたので、それをするには、まずその工程をする場所をつくるところことから始めなければなりませんでした。設備も道具も全て揃えなければならず、お金もかかる。糸島に帰ってきた時は、自分の思い描く醤油屋を始められるのは、まだまだ先のことだと思っていました。

しかし、周囲の後押しもあり、帰ってきて1年半くらいで醤油の仕込みを始められることになったんです。自分の計画よりはずいぶん早かったですが、一方で、どうせやるなら早くやりたいという気持ちもありました。2010年の秋から翌春にかけて、初の醤油を仕込み、それが2013年の春にようやく完成したんです。

工場の横には小さな売り場も。取材中も地元の人が新しい醤油を買いに来る

初めての仕込みという大仕事を終えたばかりの城さん。怒涛の日々を過ごすうち、糸島に帰ってきて5年の月日が経とうとしていた。改めて、糸島という土地について、聞いてみた。

子どもの頃は、都会に憧れていましたが、いざ帰ってくると、仕事も生活もできていいところだと思いました。田舎でありながら、福岡という大きな街がすぐ近くにあるということもありますね。僕の住んでいる深江は、駅が近いので便利ですし、一方きれいな海も近いです。

ものづくりをする場所としては、素材に恵まれていて地産地消ができるのがいいですね。醤油の原料となる大豆や小麦は、実は、福岡県で沢山つくられているんですよ。国内の生産量だと、北海道の次くらいでしょうか。醤油で使用される大豆や小麦の8~9割は外国産。だから、関西より西の国産の材料にこだわっている醤油屋は、この近くでつくられている大豆や小麦を仕入れていたりするんです。その点糸島にいれば、この土地で栽培されたものを使ってものづくりができる。土地のものを活かすという流れはとても自然だと思いますし、仕事の取り組みとしていいなと思いました。

あと、自分の思いに共感してくれる人が、思いのほか多かったのも嬉しかったですね。偏見だったのかもしれませんが、地元に帰ってきて自分のやりたいことを語っても田舎の人は理解してくれないだろうと思っていました。でも、割とみんな好感をもって応援してくれたんです。新しい味の醤油も、すんなり受け入れてもらえましたし、意外でしたね。仕込んだ醤油は、地元で親しまれる甘い醤油と違ったので、当初は、関東で売らないと!くらいの気持ちでいたんですが・・・(笑)。周囲の反応を見て、糸島でもやっていけると思えました。

現在、1年に2桶のペースで醸造。それぞれ仕込みから2年で出来上がる

つくり手とお客さんという間柄で、他県から移住してきた人と関わる機会も多いそう。その中では、逆に糸島の魅力に気づかされることもあるとか。

いろんな土地を見て回ってきたような方々が「糸島がいい」と言うので、他の田舎にはない魅力があるんだなとは年々思わされます。田舎に行けば、どこだって山や海があるだろうし、そこで採れるおいしい食べ物もあるだろうと思っていましたが、糸島はその一つ一つのクオリティが高いのかもしれません。海のきれいさ、食べ物のおいしさ、アクセスの良さ、最寄りの都市の良さ…。そういった魅力に引きつけられて、集まってくる人たちがおもしろいのも、魅力になっていると思いますね。ものづくりでも、こだわってつくっている人が多いですし、自分自身も刺激をうけます。

土地のポテンシャルが大前提にあり、そこで出会う人のおもしろさなども相まって、魅力的な土地・糸島のイメージを醸成しているのかもしれない。そんな中、城さんのようにUターンの方が少ないのはなぜなのだろうか。

まず、仕事がないことが挙げられると思います。地元に残って、ここで仕事をしている友達は、工場勤務や建築関係、もしくは家業を継いだ人が多く、ほかに選択肢もあまりありません。福岡市内へ電車で40分もかからないので、市内の通勤圏内だとも思うのですが、糸島で生まれ育った人は、そこまでして糸島に住もうとは思わないのかもしれませんね。田舎の人が都会に憧れ、都会の人が田舎に憧れるというのはよくあること。自分も家業や、醤油をつくりたいという思いがなければ都会に出たままで帰って来てないと思います。僕の場合は、目的があったからこそ戻って来れたんです。

昭和初期創業。地元の人に親しまれている醤油屋さん

最後に今後の展望について、聞いてみた。

これは今もしていることですが、地産地消をベースにしたものづくりを続けていきたいと思っています。醤油もそうですが、そのほかにつくっているポン酢やつゆも同じ。ポン酢には地元で採れた橙を、つゆは“いりこ”を使っています。

あとは、これまで避けていた地域の出事にも出ていくようにしようかと・・・。初めての仕込が終わるまでは忙しくて、どうしても時間が割けませんでしたが、消防団にも入ることにしました。かなり時間は取られてしまいますが、自営業の人こそ消防団に入らないという話もわかるんです。ここで商売をしている訳ですから、火事の時にすぐ出ていけますしね。地元とはいえ、ここで商売をしているだけでは、地元とはいえ人とかかわる機会も少ないので、出会いの機会になったらいいかなと思います。 醤油に関しては、仕込みに使っている桶にだんだん味が出て、うちの醤油の個性をつくってくれたらいいなと思いますね。年月がかかるものなので、ゆっくりじっくりやっていきたいです。

終始穏やかな口調で話してくれた城さん。他県から移住してきた人のように、糸島に対して憧れに似た強烈な気持ちはなくとも、この土地の豊かさが、ここで醤油をつくるということの意義を感じさせてくれる。たまに、近くの二丈岳に上って糸島の景色を眺めることがあるそう。子どものころは何とも思わなかったこの景色も、今はちょっと違って見えるのかもしれない。

プロフィール(2014年3月現在)

●城慶典さん 29歳

●仕事 醤油職人

●出身地 二丈深江

●移住前に住んでいた場所 東京