人とのつながりを大切にしながら、新天地での暮らしを紡ぐ日々


ゲストハウスで涙の葛藤。途方に暮れた住まい探し


この笑顔で短い間に地域に溶け込んだ。住まい探しの苦労はほろ苦い思い出に

 「海近い、山近い、学校近い」…移住に際して、小学2年生の長女のリクエストでした。当時、近いのは湘南の海だけ。登校に30分近くかかっていたこともあり、「学校近い」は、たっての願いだったことでしょう。 実際に探し始めると、新たに「駅近い」が加わります。先々、進学などで電車を使うようになった時を考えてのことです。下には2つ違いの子どもが2人控えています。送り迎えだけでも大変さが予想されました。 「そうしたら福吉以外に選択肢がなくなったんです」と、奥さまの寛子さん。

 家を建てるつもりで、何度も現地を訪れて土地や中古の戸建てを見て回りますが、即決できる物件がありません。既に湘南の自宅は売却先が決まっており、「本当に福吉に絞った方がいいのか」と、宿泊先のゲストハウスで2人、泣きながら話し合ったそうです。 「市街地で賃貸という手もあるが、街に住むのでは移住する理由がない。子どもは人混みが苦手。通っていた学校は2クラスが4クラスに増えたこともあって、落ち着いた環境で子育てすることが目的で福吉を選んだのに。じゃあ湘南で賃貸を借り直すのか」と、2人の葛藤が続きます。
 
絶妙なタイミングで見つかった借家は、国道から一筋入った古い風情が残る集落にある

 そんな折、市の移住相談、地域コーディネーター相談をきっかけに地元の大工の藤原さんと出会ったことから、事態は一歩踏み出すことになります。藤原さんがシェアハウスに改装中だった古民家を、「定住先が見つかるまでの1年間」という条件で貸してくれることになったのです。駅も海も山も近く、学校は徒歩数分と、願っていたとおりの立地でした。 長女の新学期に合わせ、3月中旬に入居。ところが工事の遅れでお風呂と洗濯機が使えず、一家のバタバタはもうしばらく続きます。

地域の人から教わったことは全てやった

「最初の3ヶ月は出かける余裕がなくて、会うのは地元の方ばかり。これが逆に良かった。近所の皆さんが助けてくださった」と、正樹さん。「ここの何々は美味しいよ、畑をやるなら苗はここで買いなさいと、地元の人が教えてくれるところは全部行きました。行く先々でまた新しいコミュニケーションが生まれる。3ヶ月間、それをひたすら繰り返していましたね」。地域に馴染もうと奮闘する姿が目に浮かぶようです。
 

自宅から歩いてすぐの海。家族はこの環境を何より気に入っている

  そんな2人に民生委員の話が持ちかけられます。きっかけは、大工の藤原さんから「空き家や土地の情報はお年寄りが持っていることが多いので、積極的に関わるといい」とアドバイスを受けたこと。ほどなく区長さんがやってきて「おじいちゃん、おばあちゃんと繋がりたいなら民生委員をやってみないか」と。2人は「その頃には、来た話は受ける、イエスマンになると決めていた」と言います。こうしてその年の12月、寛子さんは地域の民生委員の1人として任命を受けます。

 仕事面では、正樹さんが市内で新しい仕掛けづくりを開始。多くの人の協力を得て、9月に市中心部の丸田池公園で「糸島放課後秋祭り」と題したイベントを開催。たくさんの子どもたちの笑顔が会場にあふれました。

丸田池公園で開いたイベントの様子。令和5年春には2回目を開催した
 
 移住してちょうど1年が経過。民生委員を引き受けたことで、藤原さんから「3年は居ていい」との配慮をいただいたそうですが、寛子さんは「シェアハウスは藤原さんの夢なので、できるだけ早いうちにお返ししたい」と、土地探しを続けています。
 

プロフィール(2023年4月現在)

●中松 正樹さん 30代

●糸島移住歴 1年

●仕事 会社経営

●以前の住まい 神奈川県藤沢市